読み終わりました。
ラッシュライフ 伊坂幸太郎・著
表題の「ラッシュライフ」をあえて英語表記にしていないところがミソ。
「英語の方がカッコイイじゃーん」なんて言わせない。理由は読めばわかります。カタカナ表記でなくてはならない理由は、この小説そのものです。
前に読んだ「オーデュボンの祈り」を読み終えてすぐ、「今度はラッシュライフを読まなきゃ」と自然に体が動いていて、気がつけば本屋さんに行ってました。
とはいっても、すぐに読み始めたのではないのですけど。
借りていた本があったのでそっちを優先して読みました。
さてこの「ラッシュライフ」も、「オーデュボンの祈り」と同様、様々な人間模様が交錯していて、最後まで読まないと先が読めない、伊坂節がきいてます。
まだ少ないながらも伊坂作品を読み進めるにあたって、気がついたことがあります。
それは「つながり」です。
昨今のライトノベルなどや現代文学などにおけるものの多くは、当然登場人物が多数いるわけですが、その人物同士のつながりというものは、基本的に「仲間内」だけにとどまることが多いのです。
仲間同士で助け合って…または敵として戦ったり…。
伊坂作品の「つながり」とはそうではなく、小説の中に登場する人物は沢山で、しかしその人物同士には全くといっていいほどつながりが見られず無関係の赤の他人なのです。
それなのにどっかの誰かが起こしたアクションが別の、他人に影響を及ぼす。そうして物語が展開していく。
私はこれこそがリアルなのだと思いました。
実世界でも、そうなのです。
目の前にはいない、全く知らない他人が、どこかで知らないうちに起こした行動が、もしかしたら自分に、ひいては日本中、世界中に影響を及ぼしているかもしれないのです。
それがつながりです。
ライトノベルの仲間同士敵同士にはみられない、リアルさ。
そんなふうに感じました。
この「ラッシュライフ」でも、沢山の人物があちこち行ったり来たりして、好き勝手に生きています。
他人のことなどドコ吹く風で、自分のことに精一杯で。
それでも他人に影響を及ぼしているのです。しかも、無自覚に。
物語後半になってもそのカラクリがとけず、終盤にさしかかってようやく、事の真相が見えてきて、はっとすること請け合いです。
最終的に「そうだったのか…」と、必ず思えるはず。
その瞬間、ちょっとスッキリできます(笑)
物語に出てきた沢山の登場人物の、今後の人生を想像させる、余韻もこの小説の醍醐味です。
眠れない夜に一気読みしてみるのもいいのでは。